映画「剱岳・点の記」          

日本地図完成の為に命を賭けた男達の記録(新田次郎(1912〜1980)の小説「剱岳 点の記」)がこのたび映画化されたそうで、「素晴らしかった」と友達から聞いた家内に誘われ、阪急北口の映画館に出かけた。日露戦争後の明治39年、陸軍は国防の為日本地図の完成を急いでいたのだが、立山連峰に屹立する剱岳はその険しさを前に未踏のままであったので、その周辺は最後の空白地点として残されていた。陸軍参謀本部・陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎は、「陸軍の威信にかけても剱岳の初登頂と測量を果たせ」との命令を受ける。彼に与えられた仕事は、約4km間隔で標石を埋めた上で測量を行う「三等三角測量」である。著名な映画カメラマンの木村大作氏の愛読書の一つがこの新田次郎の小説であり、2006年の夏に始めて剱岳に登って感動し、自ら監督として映画化すべく行動を開始したという。
 映画は先述の命令から始まり、前任の測量手古田を訪ねた柴崎は、改めて剱の恐ろしさを知るが、案内人として宇治長次郎を紹介される。彼と一緒にまず調査の為に山に入ったが、登頂の手掛かりさえ掴めずに帰京する。そして翌明治39年、測量本番の登山へ。柴崎・宇治に、測夫らを加えて総勢7人で、池の平・雄山・奥大日岳・剱御前・別山など周辺の山々の頂上に三角点を設置し、いよいよ剱岳に挑む。・・・・・・。撮影は実際に現地で行われたそうで、パンフレットにある俳優諸氏の話を拾うと、「ある絶壁で撮影した時、「もっと右だ」と監督が言うんですが、右へ行くと地面がない」、「ある山の山頂へ行く間に、いろいろな場面を撮影しながら登って行くんです。その都度、足袋を履いたりゲートルを巻いたりと着替えなくてはならない。撮影が終わると、登山し易い装備に着替えて再び登りだす。その繰り返しが辛かった」、「雪崩に遭遇した設定の後、埋まっているシーンも大変でした。俳優は雪の中に埋められているんですが、雪は重いし、動けなくて結構苦しい。この状態でヨーイ・スタートと言われた時に・・・・・」「剱岳への山頂アタックも好天下で喜んだのですが、監督たちが30分後に登って来た時にはガスの為撮影不可能で、晴れるのを5時間待ったけれど結局下山しました。その後4日後に二度目のアタックをして成功したのですが。」などなど苦心談が多い。
以下は木村監督兼カメラマンの談。「撮影助手時代、黒澤明さんの映画に5本就いているんです。その後キャメラマンになって37年間やってきましたけれど、現場ではいつも「黒澤さんだったらどうする?」と考えていました。黒澤さんの作品が”本物の映画作り”だと思うんです。「剱岳 点の記」を企画したのは、そういう”本物の映画作り”はもう出来ないのかという事に、自分で挑んでみたい。そういう気持ちもありました。今回は一切の妥協をせずに自分がやろうと思った事をやりました。」
写真は剱岳山頂の撮影準備の様子。上映時間2時間19分で自然と人間の織り成す壮大なドラマが繰り広げられた。久し振りの映画だったが、1800円が高齢者は1000円なのもいい。