(米日)同盟が消える日

米国のシンクタンクNBR(The National Bureau of Asian Research)から刊行されたManaging Unmet Expectations(外れてしまった期待をどうする)の翻訳書(掲題がその書名)が、2月に出版された。以下はその要旨。執筆者は軍歴27年の退役陸軍将校。研究チームを率いたのは国防総省で要職にあった二人で、その中一人は普天間基地移設の最終合意文書作成にこぎつけた人。
1. 米国の期待と期待外れ: 冷戦後は、それまでの奉加帳外交に留まらず、遠隔地での平和維持活動のような貢献を望み、防衛作戦任務の面でも、より踏み込んだ責務の分担を期待した。具体的には、(1)同盟作戦遂行能力の向上、(2)日本防衛に対する実戦遂行能力の向上、(3)地域の安全保障協力に於ける日本の役割増大などであり、これまで以上に指導的役割を日本が担い、作戦能力の高い同盟関係を構築し、地域並びに世界規模安全保障の有事に対処出来るだけの同盟関係に発展させる事を期待したが、日本はこれに全く応えていない。
2. 正当かつ現実的米日同盟: 米日同盟が今必要としているのは「期待の再編成」だ。具体的に例を言えば、米国がより世界規模の安全保障で役割を日本に期待するのは、日本の能力を考えれば正当かも知れないが、日本の国内政治的制約を考慮すれば現実的とは言えない。しかし、日本自体の防衛となると、米日双方の期待が一致するような方途を見出す事は現実的な筈だし必要な事だ。そこで必要なのは、双方が「相手に対する期待度」を下げる事だ。その上での期待のすり合わせの具体論だが、まず日本の防衛は日本が主体を担う事とし、つまり、戦後初めて日本自身が「国防の第一線に立つ」事だ。他方米国は日本が能力を持たない特定分野(核の傘など)でその穴を埋める戦力を提供し、全般的なバックアップ役を担う。これによって、今迄曖昧に放置されて来た、(1)集団的自衛権など同盟の戦略的概念の現実化、(2)米韓同盟では実現している統合有事危機対応計画と実践、(3)統合指揮統制と戦闘時の通信・調整・管理、(4)交戦規定と行動方針の明文化、(5)装備の相互運用性と標準化、などが前進する。しかし、「日本をグローバルな安全保障のパートナーとみなす考えを米国は捨てる」のだ。
3. 前外務次官・谷内氏のコメント: 『日本防衛に日米同盟を限定しようと言う路線には、日本に期待を掛けた米国側の人達の失望がある。「日本人なんて所詮そんなもの」と思っていた方が気楽だ、と言う失望の裏返しだ。日本には「乙女の祈り」的な平和主義(自分では何もせず、平和、平和と唱えるだけ)がまだ多い。しかし、集団的自衛権論議も遅々としてではあるが、国民の理解が進みつつあるので、米国には忍耐を持ってもう少しだけ待って欲しいと思う。もう日本は世界の為に何もしなくていいんだ、などと、日本人自身が思ってしまったら、そんな日本人の為に米国人は血を流しはしない。日米同盟をあえて狭く定義してもらって、これに日本人が安心してしまっては、今度はもっと大事な「日本人に対する米国人の敬意とか信頼」が無くなってしまうだろう。そういうジレンマに立たされているように思う』と。
4. 中国からみた米日同盟: 中国で有名な安全保障の研究者が「日米関係は仕組みとしては強い。でもその現実の働き方は弱いものだ」と語ったそうだ。すなわち、現実に必要になった時に機能しないだろうと言う事だ。従って、と言うべきか、今の(機能しない)米日同盟が続いて、「日本が独自の核開発などに決して向かわない事」が、中国にとって有利とみている。ここぞと言う時に間違いなく倒壊するだろうと、中国が確信している同盟など、米国・日本の国益に資さない事は言を俟たない、と著者は締め括っている。[筆者「情けない日本だなぁ」]