参院選投票前の復習

小沢一郎自民党離党により1993.6に細川政権が誕生したので、’93.5刊行の自著「日本改造計画」(講談社)に示された内容で改革が進むものと国民は期待した。まず他国並みに国際貢献を行えるよう、憲法改正の上での自衛隊の再編を提案し、更に新自由主義の勧めとも言うべき「個人の自己責任」を小沢は主張した。これらを実現すべくであろうか、’94には小選挙区比例代表並立制を成立させている。しかし国連に自衛隊を委ねるのは余りに非現実的であり、憲法改正は取り上げられず、新自由主義についてはすっかり忘れたかのように、’06に打ち出されたのは驚くべき事に「生活が第一」という社会民主主義的なスローガンだった。農家への補償制度や子供手当などかつて唱えていた「自己責任」とは対極にある。冷戦終了後に必要な「大きな政治」(外交・防衛・憲法)は話題にもならず、社会保障・制度改革など「小さい政治」に矮小化されてしまった。
 90年代の始めに政治学者として注目されたのは東大教授佐々木毅だが、’87刊行の自著の中で、「戦後史の中で、国民生活にとって最大と思われるこの変動期が必要としているのは、新しい「大政治」である」と主張している。にも拘らず一連の著作の中で外交・防衛・憲法などの問題には殆ど向き合う事はなく、選挙による政権交代という「爽快さ」が欲しいと述べていた。同じ政治学者の中では「およそ意味があるとは思われない選挙制度をめぐる問題に没頭し、その間、国際政治の問題はきれいさっぱり忘れ去られてしまっている」との批判はあったが少数で、佐々木教授の議論は、激変した国際環境への対応と言う厄介で困難なテーマから目をそらす事を正当化してしまった。民主党政権普天間基地問題に於ける迷走を見れば、冷戦の終結で再検討を迫られていた「大きな政治」に踏み込む事を先送りし、選挙制度の改革という「小さい政治」に終始して来たツケが回って来たと言うべきだろう。政治の低迷の責任は小沢のみでないのかもしれない。
 細川政権・自社さ政権後、政権を奪還した自民党ではあったが、依然として守旧派が牛耳っているところへ、これではならじ、と小泉が登場し、財政出動なしの景気回復・不良債権処理・党内抵抗勢力一掃を遂げ、私は評価するが、その後が続かなかったのは真に残念だった。小泉改革が継続していれば「失われた10年」で済んだかもしれないが、それ以降第2の「失われた10年」に入ってしまったのではないか。民主党政権になってもそれが続いている。そもそも民主党は、自民党の対応が不十分だった既得権や無駄の排除、天下りの根絶を掲げた為、国民から拍手喝采で迎えられた筈だが、現実には、逆に日本の構造改革はストップしている。とりわけ郵政などは昔よりもっとひどい状態に逆戻りしている。全国郵便局長会と極めて親密な国民新党に振り回される民主党は、郵政問題についての自党の考え方を放擲しているが、恥を知れと言いたい。
 過去20年を思い起こすと、自民党全体の体たらくから見て民主党への政権移行も止む無しであったが、民主党の不勉強・不誠実・ご都合主義も目に余る。非武装中立を叫んだ旧社会党出身者が秘かに合流し、教育に政治的中立などないとほざいた日教組が仕切る民主党はとても信用出来ず、いずれ馬脚を現し国民も目がさめるであろう。自民党も若返りを進めると共に、国の歴史と伝統を重視した真正保守を明確にした政党となり、それにより国民の期待する保守二大政党となってもらいたい。その暁には、年金・医療・介護・消費税などなど小さな政治は、妙案があるわけでなく、どっち道そこそこの所に収斂するものであり、よく監視して官僚に検討させればよい。過去65年も先送りされっぱなしの「大きな政治」を政界再編後に直ちに取り上げ、まず中国の勃興に関連しての日本国の外交・防衛戦略を国民の前に提示し、合意形成に注力してもらいたい。