民主主義下の重罪

 月刊誌・正論の昨年9月号で、保守派の論客である長谷川三千子氏 (東大文学部哲学科卒、埼玉大学教授) は「難病としての民主主義」を書き、今国民は何を自戒すべきか、を論じている。昨年の衆院選挙前に書かれたものだが、大変示唆に富む解説なので、以下に要約する。
1. 今後の総選挙で自民党が勝つとは考え難く、民主党が政権を取る事になろうが、それが全うな政治を行って長期安定政権を築くであろうと考える人は、民主党支持者の中にもほんの僅かしか居ないだろう。そもそも民主党に投票する人々の九割は政権交代後の事など考えもしていない。
2. そもそも民主主義は「良い政府を実現する為の方法ではなく、悪い政府を罰する」事にその本質がある。二千数百年前の古代アテナイにおけるデモクラティア以来、終始一貫して変わる事のない民主主義イデオロギーの核心は、正にここにあると言って過言でない。ここに言う「悪い政府」とは、ただもっぱら、人々が「悪い」「良くない」と感ずる政府、と言う事であり、人々のその感じ方は、全く気まぐれなもので、それに従って「良い政府が実現出来る」などと期待してはいない。重要なのは、それで国民の腹の虫が収まるか否かであり、否なら「罰が下る」のだ。
3. このような民主主義イデオロギーの根底には、更にもっと過激なイデオロギーが潜んでいる。すなわち、全て一般に「政府は罰せられるべき」と言うイデオロギーだ。このような発想がもっとも表立って現れ出て来たのは、西洋近代の民主主義に於いてである。それは革命と共に始まっているのであって、誰かが政権の座につく度に、殆ど反射的にそれを追い落とさずには居られず、「権力を倒せ、政府を処罰せよ」と叫び続けるのだ。ここから、民主主義イデオロギーに於ける「野党の特権的立場」と言うものが導き出される。すなわち、ありとあらゆる事柄について(それが正しくなくても)、野党は、政府与党と正反対の意見を言い、常に政府を罰する機会をうかがい、更には一歩進めて、政府を罰する機会を作り出す事に励む。更にもう一つ、同じような役割が自分の聖なる仕事だと考えられているのが、ジャーナリズムと言うものだ。不偏不党などと言いながら、安倍政権を攻撃した朝日新聞のやり方は、正に「感情的、残酷」なものであった。
4. こうして見て来ると、一つの大きな疑問が浮かんで来る。すなわち、民主主義を採用している国々は沢山あるのに、問題の少ない国もあると言う現実だ。これについても、古代アテナイ民主制は我々に良いヒントを与えてくれる。先述のように、アテナイの民衆は何ら客観的な判断に基づく事なく、多くの有力政治家達を弾劾裁判にかけて罰したのだが、それがアテナイそのものを滅ぼす、と言う事にはならなかった。アテナイの弾劾裁判にかけられるべき三つの重大犯罪の一つは「売国罪」であった。すなわち、その民主制はいくらその刃を内側に向ける事があっても、他方で、「売国は罪である」と言うはっきりした枠組によって制御されていた。アテナイの民主制は、常にアテナイに対する忠誠と表裏一体の形になっていたのである。
5. 現代ではどうか。例えば米国、リベラル・オバマ民主党政権になっても、「米国を敵から守らなければならない」と言う大枠自体は、少しも揺らいでいない。日本はどうか。一つだけ確実に言えるのは、古代から現代に至る迄、民主主義国家をその自壊から守って来た大事な防壁――国防と言う発想――が、今の我国には欠け落ちていると言う事である。こういう状態で、民主主義イデオロギー原理主義を振り回したらば本当に危険な事になりうる。これについてはいくら声を大にして警告しても警告し過ぎると言う事はないのである。筆者:全く同感だ。軍事費を急増させ、国産空母を量産中で、軍事活用可の宇宙計画を推進中の中国とどう対峙するのか。