政界再編期待

拓殖大学大学院教授・遠藤浩一氏の「政権交代まぼろし」(2010.2、産経新聞社)の最終章は「政界再編は必然」であり、これを参考にしながら掲題の件を以下に私なりにまとめてみる。
1. 戦後政治の流れ : 第1期は1945年に始まり、主権回復の成った1952年迄の被占領期であり、第2期は’52 年から’60年迄の脱戦後模索期である。首相が吉田に代わり鳩山となった後の’55年11月には、保守合同(自由民主党立党―岸幹事長)が実現した。この55年体制は岸首相の退陣で終了し、池田内閣(60年体制)なってからは一転して経済以外には眼を向けず、経済大国にはなったが、その後自民党は迷走を始め冷戦後の対応にも失敗してしまった。小泉内閣の時の2003年に民主党が生まれ、’09年には政権が自民党から民主党に交代した。
2. 自民党立党時の綱領 : 保守合同の一方は「吉田型政治では国家の再建は完成しない」と考える鳩山・三木・石橋ら、他方は憲法改正再軍備を悲願とする公職追放解除組の岸・重光ら、であった。この保守合同こそ、戦後を清算する為の大掛かりな構造改革であったし、その主導者は理念的にも運動的にも、岸信介その人であった。その綱領は6条からなっているが、第1条・国民道義の確立と教育の改革では、「祖国愛を高揚する為……現行教育制度を改革し、教育の政治的中立を徹底し……」とあり、第6条・独立体制の整備では、「……現行憲法の自主的改正を図り、占領諸法制を再検討し、国情に即して改廃を行う。……自衛軍備を整え駐留外国軍隊の撤退に備える」となっている。
3. 国家観なき60年体制 : 安保改定に全精力を使い果たした岸が退陣した後は、後継首班が岸の果たせなかった課題を成就しなければならない筈だったにも拘らず、吉田の弟子・池田ら以降は「親米独立」と言う党是を反故にして独立の完成を諦め、吉田の「従米半独立」路線に回帰してしまった。経済成長に専念し、その成果で大々的な分配政策を展開するなど、豊かさ(私益)の追求のみが目標となった政治が続いた。対外的にも事勿れの「対中謝罪外交」が続いたが、これは60年体制の最も醜悪な結果である。冷戦終結(1989年)と言う世界情勢の激変にも対応出来ず、「東京裁判史観からの脱却」と言う国家目標は封印され、国民の関心から「国家」は遠のいたままだ。地下の岸は切歯扼腕するだろうが、今その後遺症が顕在化している。
4. 2003年体制と政権交代 : 結党時の理念を見失った自民党は、その存在理由を希薄化させて行った結果、2009年の衆院総選挙で政権政党の座から転落した。代わって政権を獲得した民主党は「国民の大多数の支持」の上に出来あがった「強大な政党」に違いないが、その政権の総理以下閣僚の言動及び政府方針の混迷と迷走、崩壊寸前の日米同盟、成長なき再配分路線、皇室軽視、政治主導ならぬ素人主導の限界、……挙げればきりが無く、果たしてメッキが剝げ、国民から見放されつつある。昨年の総選挙で自民党から票をもぎ取って大勝した民主党だが、今年の参院選ではその票が大量に逃げ出した。ところが野党となった自民党はその受け皿たり得ていない。それどころか、離党者が増えるなど国民の信頼を取り返せていない。
5. 平成の保守合同 : 民主党自民党も、それぞれの政党が内部に抱える矛盾が大き過ぎるのだが、その解決には政党再編が避けられない課題である。戦後の日本政治は、国家の基本問題が問われるような局面に於いては、常に保守合同によって打開して来た。今求められる再編の要諦は、自民党立党の綱領に立ち戻っての平成の保守合同であり、その責任は最大野党の自民党が負っている。気魄を持った指導者が自民党内で立ち上がる事が求められている