政治の迷走の責任は?

1. H22年1月の筆者のメモ
約100日の鳩山首相の言動を観察し、国際文化研究センターの猪木武徳所長が
『国民は
  ・明晰に説明出来る能力を持つリーダー、喫緊の課題を直視するリーダーを求めず
  ・「国民の為に……をさせて頂く」と言うなど、異様な低姿勢のリーダーを選んだ
  ・「感じのよさ」にこそ自分の政治生命がある、と思うようなリーダーを選んだ』
産経新聞紙上で述べたが、私は、これは「国民が犯した過ち」として反省すべきと意見表明したところ、「長い目で見、我慢しろ」「民主党も試行錯誤段階だ」と民主党に対する同情からの反発が多く寄せられた。確かに同情すべき点もあるにはある。日本がバブル崩壊に見舞われ、失われた10年を過ごしてしまった後、その後5年間の小泉改革で、自民党の古い体質の一派を根絶し、郵政民営化を通じて、第二の国鉄になる事が目に見えていた郵政事業を改革し、市場に資金を回す仕組みを作る事で経済を活性化させる大改革をスタートさせたのだが、この小泉起死回生内閣の政策が残念ながら福田・麻生迷走内閣に継承されず、国民の信頼を一気に失ったのは誠に残念であったし、政権交代もやむを得なかった。よたよたの自民党内閣の後を継いだので、しばらく時間は必要であろうが、野党は政権交代を視野に入れて研鑽を積む時間は十分にあったし、そうして来た筈にも拘らず、過去100日の実績は目を覆うばかりである。中央公論H22年2月号の竹中論文にあるように、前年10月に閣議決定された「郵政民営化の見直しに関する基本方針」は衝撃的であり、時計の針を10年分逆に戻すものだ。パン(子供手当など)とサーカス(事業仕分け放映など)で支持率の低下を食い止めているそうだが、あくまでばらまきであり、見世物興業に過ぎまい。最悪なのはもちろん普天間問題だ。何の目途も無く沖縄県民の心を弄んだ首相の責任は重大だ。しかしそれもこれも、このような党首の下の民主党を選んでしまった国民がその不明を詫びなくてはならないのが、民主主義である。
2. H22年2月の筆者のメモ
 その後1年が経ちその間、参議院議員選挙があり、菅直人への政権委譲があり、一時政権支持率も上がったが、この首相も前首相と同程度の水準であって瞬く間に国民に見透かされ、今や菅政権は風前の灯のように思われる。マニフェストの履行が不可能なのに国民は気付いており、民主党支援メディアはその修正に逡巡するなと言っているようだが、少々の軌道修正ならともかく、これは「大嘘つき」であり、それが許されるなら「政権泥棒」がこれからも続き、日本の政治はますます混迷を続ける事になろう。首相は国民に「結果として嘘をつきました」と陳謝し、解散と総選挙を行って出直すしかあるまい。国民にも半分の責任はあり、そのコストは甘受すべきか。
3. バートランド・ラッセルのOn politicianについて
前述の猪木氏は、鳩山氏のリーダーとしての資質に疑問を呈しているが、菅氏についても同様だ。小沢氏については古い自民党の体質丸出しであり、これら各氏が率いる民主党の危うさは国民にも十分予見出来た筈。しかし、今になって文句を言っても詮無いのであり、バートランド・ラッセルの「Let us remember that in a democracy criticism of our politicians is criticism of ourselves ---we have the politicians we deserve.」を思い起こして、我々自身の政治家を見る能力を高めたいものだ、と私は思う。それにしても民主党をかついで政権交代を叫んだ国民・メディアは、民主党と共に自らの不明を陳謝してもらわなければならない。