北方四島返還―その2 [日露交渉の壊滅と再興]

その1では、2001.3の森・プーチン会談で、「歯舞・色丹の引き渡し」と「国後・択捉の討議」の並行協議という日本側提案が、拒否されず辛うじて残ったと言ってよく、両国外務省はこの後者のテーマを今後どのようにさばくかにつき、それぞれシナリオを考える事になる筈だった。しかし、不可思議でお粗末な事態が続き、これ以降、進展なく後退ばかりで今に至っている。
(1) 日本のシナリオ: 東郷氏の著書によれば二つ、?露側に譲歩なく二島返還のみ[`59年フルシチョフと同じ立場]なら、日本政府の回答は「否」、?露側の回答が、「歯舞・色丹は引き渡すが、国後・択捉については、日本が両島を要求する権利を妨げないが、現時点で歩み寄れるのはここ迄」というなら、不満足ではあるが、交渉を前進させるという考え方だったと言う。
(2) 暗礁に乗り上げた日露関係: イルクーツク会談の後、森総理が退任して小泉政権となり、田中真紀子外相が登場したのだが、交渉の継続性を無視した方針を出すなど、対露政策は大きな混乱に陥った。やがて発生した田中大臣と鈴木宗男議員の対立が激しさを増し、結局、田中大臣、野上外務次官、鈴木議員がそれぞれのポストから辞任した。デリケートな交渉を必要とする「二島先行返還」に対し、今までの積み上げを無視した乱暴な「四島一括返還」論が幅を利かせるようになり、日露間の交渉がその後、急展開する事はなかった。
(3) 日本国内の論調: 2005〜2009年頃の新聞切り抜きを取り出してみると、「四島、で結束固める時」とか「あり得ない、とりあえずの二島返還」の文字が躍っている。これはこれであり得る一つの見解であろうが、2009年頃の致命的な事として、麻生・鳩山両首相の「北方四島はロシアによって不法占拠されている」という発言を、東郷氏は講演で挙げていた。森・プーチン会談をガラス細工のように成立させた氏にして見れば、何と不勉強で素人くさくて準備不足ではないかと、東郷氏の腹は煮えくりかえったに違いないと、又首相にこんな発言をさせてしまうスタッフ(政治家・外務官僚)の劣化も酷いな、と私は想像した。
(4) 米が見た北方領土交渉: ごく最近の産経新聞(2011.6.21)に載っていた「北方領土交渉―日本無策の10年」であるが、副題は、「ウィキリークス米公電公開」で、要旨は以下の通り。『日ソ共同宣言(`56年)で規定された歯舞群島色丹島の返還に関する条件と、残りの国後・択捉両島の帰属問題を同時に協議する「並行協議」が頓挫したのは2002年のことだ。その後、新たな枠組みの返還構想が協議された形跡はなく、文字通り「失われた10年」に終わった事が公電からも読み取れる。在日米国大使館発2009.4.19付公電は、情勢は行き詰まっているのに、日本の外交官は「メドベージェフ大統領は北方領土問題を解決する政治的意志を持っており、熱心に取り組もうとしている」と自信を持って語る、と当惑気味に指摘し、かつ「日本側は世間知らずだ」と評している。又「日本には北方領土返還を交渉する為の計画と遂行する指導者に欠けているし、政策の空白は民主党にも広がっている」と断じている、とも。更に公電は、「ロシアに影響力を及ぼし得る人物として元首相の森喜朗氏らを挙げる」一方、「新たなアイデアを打ち出せる政治家・評論家はおらず、対露外交に強い影響力を有し、02年に逮捕された鈴木宗男議員の問題が影を落としている」との見方を示している』
(5) 東郷氏の講演結語: 1945年の忘れ得ぬ記憶[日ソ中立条約破棄の裏切・満州その他での残虐行為]が氏を駆り立てているそうだが、今や交渉は壊滅しロシア化が進み、二島返還さえ危うい、何とか政府は体制を立て直し諦めずに取り組んで欲しいものと後輩への期待を語った。