北方四島返還―その3 [並行協議への再挑戦]

東郷氏の講演のあと著書「北方領土交渉秘録」を読み、引き続き氏の部下だった佐藤優氏のベストセラー「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」(刊行は新潮社2005.3、新潮文庫版は2007.11) を読んだ。各章は逮捕前夜・田中真紀子鈴木宗男の闘い・作られた疑惑・「国策捜査」開始・「時代のけじめ」としての「国策捜査」・獄中から保釈、そして裁判闘争へ・となっている。佐藤氏は1960年生まれ、同志社大学大学院(神学修士)のプロテスタント、1985年にノンキャリアーの専門職として外務省に入省、1987〜1995年迄モスクワの日本大使館で勤務、1998〜2000年国際情報局分析第一課主任分析官、東郷氏にはモスクワも含めて部下として仕えた。
1. 「国家の罠」執筆の動機 本書を書いた主な動機を著者は、鎮魂だと言う。「鈴木氏は政治家としての洞察力に優れ、実行力を持つ。この鈴木氏を外務省は、外交政策を推進する為に最大限活用したのみならず、予算・定員など外務省の自己保全にも利用した。幹部が文字通り土下座する姿を何度も見たし、多くの外務官僚が鈴木氏に擦り寄った。2001年に小泉政権が成立し田中真紀子女史が外務大臣に就任すると、女史と外務官僚の間で本格的な戦争が始まり、この過程で外務官僚は鈴木氏への依存度を一層強めた。ところが田中女史が更迭されると、今度は鈴木氏を追い落とす為に、外務次官以下執行部はありとあらゆる画策 (外交秘密文書の共産党へのたれこみなども) を行った」と記載されている。これは鈴木氏に対する鎮魂だが、著者は「北方領土交渉に政治生命を賭した橋本竜太郎氏・小渕恵三氏・森喜朗氏の魂を慰める作品をいずれ書きたい」と文庫版あとがきに記している。
2. 東郷氏の証言 鈴木宗男氏は、やまりん事件・島田建設事件・など政治資金関連で2002.6に逮捕され、2004.11に懲役2年の実刑判決を受け、上告するも2010.9に最高裁は控訴棄却し、現在収監中。佐藤氏は2002.5に、イスラエル学会事件・国後島発電施設事件で逮捕され、2005.2に懲役2年6ヶ月執行猶予4年の判決を受け、上告するも2009.6に最高裁は棄却し判決が確定した。佐藤氏の上司であった東郷氏は米国から一時帰国し、佐藤氏の控訴審で「今回佐藤氏が起訴された案件は、条約局長の明確な決裁に従って実施されたもの、その実施の一端を担ったに過ぎない佐藤氏が、その責任を問われる事はない。氏は公の為、日本国の為、不眠不休で仕事をし、その献身ぶりは余人の及ぶところでない」と証言したのだった。2030年になれば、関連文書が公開されるそうで、これらの文書と東郷氏の証言を突き合わせれば、検察・裁判所の判断よりも自分や東郷氏の主張の方が歴史の真実だったと判明する、と佐藤氏は述べている。検事はこれは「国策捜査」と言ったそうだが、その目的は何だったのか。
3. 筆者の感想 「四島返還絶対」では交渉は無意味というロシアに対し、何とかテーブルにつかせようと、政治家・官僚が知恵を絞った2001年頃は、東郷氏が言うように「一番日露が近づいた時点」であったように思われる。当時も今も我が国では「四島一括返還」が幅を利かせるわけだが、森総理・鈴木議員・東郷氏らが描いた「並行協議」(歯舞・色丹の引き渡しと国後・択捉の討議)に移行し得なかったのは、何とも残念な事であった。民主党政権のお粗末な対応もあり、ロシアによる四島の実効支配が急速に進められているのに、我が国は傍観以外に手が打てないでいる。「もう二島さえも帰って来ないのでは」という、投げやりな意見の人も筆者の周辺に現れて来たが、とんでもない事だ。満州北方領土ソ連の暴虐に涙をのんだ先人の無念をそそぐ為にも、挙国一致の体制で本件に再度立ち向かわなくてはならない。