カラマーゾフの兄弟                  

 新訳「カラマーゾフの兄弟」(訳者は東京外国語大学教授・亀山郁夫氏、光文社古典新訳文庫から昨年9月第1巻が出版され、今年7月全5巻が完結) が、ある日の新聞広告で大々的に宣伝されているのに気づき、その昔、読み出したが直ぐ放り出した記憶もあって大変興味をそそられ、早速最初の一冊を購入してみた。確かに読みやすい訳だと感じ、今回は投げ出さずに読み続けられそうだと思っていたら、8月22日産経新聞夕刊トップに、『新訳「カラマーゾフの兄弟」異例のベストセラー』の見出しに続いて、混沌の時代を生きるヒント、「男女の愛憎・幼児虐待・テロ・・・現代に通じるテーマ」、などとあり、「地主で物欲の強い父フョードル・カラマーゾフと、性格や生い立ちが異なる三人の息子、そしてもう一人の私生児が繰り広げる愛憎劇。父が他殺体で発見され、長男に嫌疑がかけられ裁判となる。人間の悪魔性、神性を抉り出す長大な思想小説で、フョードル・ドストエフスキー(1821〜1881)の最高傑作と言われている」と極々簡単に内容が紹介されている。光文社の担当者は「亀山氏の新訳はリズムと勢いがあって読みやすく、若い頃読んで挫折した団塊の世代が読み直していると共に、巧みな仕掛けがちりばめられたミステリーとしての面白さが若い人に受けている」と指摘、亀山氏も「この作品には運命とは何か、暴力とは何かという抽象的な事を、生々しく自分の事として経験させる吸引力がある。運命を描く事で人間の存在の小ささを、また罪を描く事で人間の存在の大きさを表現している。人間の残酷さを直視して作品を書いたドストエフスキーの問題意識には現代性がある」と評価している。
 一冊ずつでは何時になったらゴールが見えるのか心もとないので、全五巻を手元に置いてあちこち拾い読みする事とし、一方、邪道かも知れないが、図書館で「一時間で読めるドストエフスキー」の中の「カラマーゾフの兄弟のあらすじ」をとにかく読んだ。「あらすじの要約」は次の通り。『父フョードルの最初の妻は、三歳の長男ドミートリーを残し、男と駆け落ちした。二番目の妻は、イワンとアレクセイの二人の男の子を産み、世を去った。フョードルの屋敷で、若い娘が産み落とした赤ん坊に、フョードルは、スメルジャコフという苗字をつけてやった。陸軍の将校だったドミートリーは、女好きの暴れん坊。イワンは知的な無神論者。アレクセイは神を信じ、修道院のゾシマ長老を尊敬していた。グルーシェニカは商人の愛妾だが、フョードルは金を餌に、美人で豊満な肉体を持つ彼女に言い寄っていた。金をめぐるトラブルから、グルーシェニカのところに乗り込んだドミートリーは、一目惚れし、父と子の妖婦を巡る争いが始まる。陰鬱な青年のスメルジャコフとイワンは気が合い、その頃帰省していたイワンは再びモスクワへ帰って行った。重病のゾシマ長老は、ドミートリーが恐ろしい事を起こすと予言し、息を引き取った。ドミートリーは、グルーシェニカとの新生活の為、父親の遺産を早く手にしようと、ある決断をする。・・・・・フョードル殺害事件で、調査官はドミートリーを容疑者であると申し渡す。裁判では、証言台に立ったイワンが「僕がそそのかし、スメルジャコフが殺したのです」と叫ぶが、しかし、検事側の論告・弁護側の弁論の後、裁判長の問いに、陪審員長は大声で「有罪です」と答える。陪審員にはドミートリーに泣かされた何人かの百姓がいたようで、「百姓どもが意地を張ったんだ、そしてドミートリーを滅ぼしたんだ」と言う声が、騒ぎの中で聞こえた。』
 第四巻でここまで完結していて、この新訳の第五巻はエピローグ・ドストエフスキーの生涯・年譜・解題「父」を「殺した」のは誰か・訳者あとがき、となっている。ドストエフスキーが18歳の時に父・医師ミハイルが農奴に殺される、24歳で処女作「貧しき人々」を完成する、28歳の時非合法著作「ゴーゴリへの手紙」を朗読して逮捕されシベリヤへ流刑される、33歳で刑期満了著作活動に専念する、となっていて、この至高の名作はドストエフスキーの自伝的色彩も若干あるようだが、それにしても本文庫で2000頁は、訳者も大変だが、読者も容易ではない。