浄瑠璃寺の春                  

 お彼岸の日のテレビが言うには、その日には浄瑠璃寺の国宝「本堂」(九体阿弥陀堂)の丁度中央の位置に夕陽が沈むのだそうだ。そして阿弥陀仏を西に向かって拝めるように本堂の中の九体を一列・東向きに配置し、本堂前に浄土の池を造り、こちら側から文字通り彼岸に来迎仏(衆生を西方楽土へ迎えてくれる阿弥陀仏)を拝むような形に伽藍は配置されているという。夕方は雨になるとの予報でもあり、4月最初の土曜日朝7:00出発で行ってみようと、前夜家内の緊急提案に合意したのである。生駒山を横断するトンネルのお蔭で宝塚から奈良迄は一時間強で行けるし、浄瑠璃寺はJR奈良駅から直線距離で北東6kmにある。奈良との県境の京都側にあって、西国薬師霊場第37番である。寺の前にはかなり広い駐車場があり、小さな食堂やら土産物店も一二軒はあるが、まだまだ鄙びた静かな寺であり、山門に向かっての細道の両側は馬酔木(あしび)が満開であった。開門と同時に本堂に入り、今は唯一のものとなった国宝「九体阿弥陀如来像」を一体一体間近に見る。本堂・九体仏いずれも1150年前後に製作されたようだ。生前の信仰(上品・中品・下品)と善行(上生・中生・下生)の度合いで9通りのお迎え方法があるという「観無量寿経」の九品往生(くぼんおうじょう)に因んで九つの如来を祀ったと言われる。最上位の上品上生は如来・菩薩・などが総出で迎えてくれるが、階位が下がるとひっそりとした寂しいお迎えだそうだ。何本ものろうそくの炎はいずれも微動だにせず、堂内の空気は深深と冷え切っていて身震いする程で、自ずと正座し線香をあげる。外に出るとかえって暖かく春の陽射しがあった。本堂から池を左周りに対岸に行くと三重塔(写真は秋の絵葉書)であり、この辺りから本堂の中の阿弥陀仏に向かって拝むと各自それなりに西方浄土に迎えてもらえるという事らしい。
ところで、この短文の表題は、実は堀辰雄の「大和路」の中の一文と同じで、それは昭和18年春、夫人と一緒に木曽路を通り、伊賀を経て大和路に出た旅の小品(新潮文庫8頁もの)である。「奈良へ着いた直ぐそのあくる朝、・・・・・何となく懐かしい旅人らしい気分で、・・・・・漸っと辿り着いた浄瑠璃寺の小さな門の傍らに、丁度今を盛りと咲いていた一本の馬酔木をふと見出した時・・・・・、」などとあって、60年経った今の雰囲気が、この小品の時代と殆んど変わりがない事が分る。 美しい日本が、歴史的資産共々、時代を越えて大切に引き継がれて行くのは大変誇らしく嬉しい事である。